車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 6月29日 (日) - 357日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 義経海浜公園

本日の移動 : 三厩村観光

走行距離 : 13.8km

累計距離 : 15,579km
本日の出費

食費 : 1050円

観光費 : 300円

宿泊費 : 0円

雑費 : 0円

費用詳細 : 観光費:青函トンネル記念館

現在地 : 青森県三厩村  ( 全走行図 )

ゴール!!

田嶋さん最後の道程へ!
 とうとうやってきました最終日!ゴールである。とはいっても私ではない。全国の自然歩道を歩いている田嶋さんだ。今回は2ヵ月半の旅を乗り越え、東北自然歩道を今日制覇しようとしている。その最後の旅を見守り、そして祝おうと残り2kmほどの道程を集まった4人も含め賑やかに出発した。

 だが、今朝は昨夜みんな飲みすぎたためにちょっとグッタリ・・・ また疲れも起きるのはやや遅く、出発準備も同様にのんびりしたものだった。私も起きたのは7時ごろ、昨夜はなにも出来なかった日記更新を始めるが、やはりこういう場ではなかなか進まず、また、携帯の電波もあまりよくなく更新できない。最後はもう諦めて、10時頃、田嶋さんと元気に最後の道程へと一歩踏み出した。

 心配していた天気の方は、出発する頃には上がってくれ、昨日は見ることの出来なかった荒々しい海岸美を今日は見せてくれていた。遊歩道はすぐ海脇を通っていくのだが、すぐ頭上は見上げんばかりの岩壁である。遠めで見れば大したことない岸壁かもしれないが、こうして直下から見上げると、その迫力に圧倒されるほどだ。だが、ただ荒々しさを強調した壁ではなく、優しさもある。まさに地獄絵図のようにも見えるその岩壁に天使が何人も遊んでいるように、ユリの花が光輝いき咲き乱れているのだ。これにはさすがに皆見せられて歓声があがるほどであった。そしてやっぱりみんな写真撮影。とくに田嶋さんはこれが仕事なだけに力が入る。アシスタント?!として神田さんが撮影に協力し、いろんなアングルから頑張っていた。そんな姿に自分も刺激を受けるほどであった。

元気にみんなで出発!
ユリが咲き乱れる
東北最後の自然歩道

 海岸線を1kmほど歩いただろうか、もう竜飛崎見上げる先まで来た。あとはこの岩壁を登るだけだ!自然みんな力が入るのだが、当の田嶋さんはちょっと勿体無さそうに、撮影に夢中になり、のんびりと最後の旅を楽しんでいた。自分の最後はどんな完結になるのだろうか?、そんなことを考えながら階段を登って行き、そして津軽半島北端、竜飛崎到着だ~!みんな手を繋ぎ、田嶋さんの一声でみんなでゴール!!!みんなで喜びを分ち合い最後を祝った。自分もほんとうに嬉しく、なんだかワクワクしながら、最後、記念撮影♪自分にとっても最高の思い出をこの竜飛崎でこうして作った。ただ、悔しかったのは天気が悪化したことで、深い濃霧のために期待した北海道を望むことは出来なかったが、でも、自分の目には、その真っ白な世界ではあるが心の中でははっきりと北海道が見ていた。

裏竜飛歩道より
東北自然歩道制覇!
田嶋さんゴール!!

 この津軽海峡にはさすが日本海の2つの入り口のひとつであるだけに砲台が建てられていたようで、今もその監察所が残されていた。緊迫した明治、日露のときあたりの砲台跡だろうか、何も書かれていないためにはっきりしたことは分からないが、そう自分で納得しながら、そんな監察所でひと遊び♪そしてこの後は、みんなであの有名な階段国道を歩いた。そう、名前の通り、階段の国道で、地図上でもしっかりと赤ルートで示されている。が、階段なのでもちろん車は走れない。日本で唯一の階段国道だそうだ。それを下っていった先には小さな漁村があり、その家屋を縫うように国道と言うより遊歩道が続いていた。

 海際まで出て、岬の方へと歩くと、ここにも太宰治記念碑がある。さすが生まれ故郷・津軽だけあり、この地には多くの碑が残されていた。やはりそんな地では太宰話に花が咲き、そしてまだ岬まで戻った時には、今度は石川さゆりを熱唱!そう、あの”津軽海峡冬景色”だ!ここにはその碑ももちろん建ち、さらにはボタンひとつでメロディーが流れるようになっている。こりゃ、歌わずには行かないだろうと、田嶋さんがここでは熱唱してくれ大いに盛り上がり、こうして楽しく最後の旅を終え、キャンプ場へと話が尽きないまま、のんびりと戻った。

竜飛崎の旧海軍監察所
竜飛崎灯台
なんと!国道の階段
国道を下る
竜飛崎・太宰治の碑
石川さゆり・津軽海峡碑♪
(田嶋さん熱唱中)

 キャンプ場へと戻り、落ち着いたところで改めてみんなでお礼を言い合い抱き合う。田嶋さんはもちろん、他にみんなも同様にやっぱり嬉しいのだ。そんなみんなと今度は青函トンネル記念館へと出かけた。もちろんここは世界第一位の長さを誇るトンネルで、その建設には尊い命を何人も奪うほどの苦戦苦闘を重ねての、血と涙の結晶である。もう断念寸前まで追い込まれた。出水によりトンネル水没の危機にも襲われた。だが、無理だろうと言われたそれら全てを乗り越えていった。当時の開通した瞬間の映像では、みんなが万歳三唱をし、そして涙ぐんで喜んでいる姿が、今も忘れられない。

青函トンネル記念館
青函トンネル記念館

 こうしてこの記念館の観光を最後にみんなと一時お別れ・・・ そう一時であり、また会えるのだから、それを楽しみにして、それぞれに固い握手を交わし、またの再会を誓った。ちなみにここで分かれるのは私だけである。他のみんなはもーそんの車で帰路に着く。私だけ自転車でここまで来たので、その自転車で帰らなければならない。やや寂しさもあるが、でも自分で選んだ道であり、そして望んだ道でもあるのだから後悔はない。ただ、やや寂しさを感じながら、観光をひとり続けた。

  記念館を後にし、今度は併設されている風力資料館も見学した。各地の風力発電設置の意義や活用などから始まり、さらには原子力の必要性も紹介していた。小さな資料館ではあったが、内容は意外と豊富で、とくにこの中で魅かれたのが、風力体験コーナー!風速15mを体験できるのだが、だが昨日の突風を思うと大したことはない。これではあのように自転車は飛ばされないだろう。あの時の瞬間風速はどれだけあったのだろうか検討もつかない。

 観光に夢中になり、もういつの間にか昼をとっくに周っていた。お腹が空くわけであり、このまま我慢して漕ぎ出そうとも思ったが、この先、すぐに飲食店があるとは思えず、仕方なくやや高かったが奮発し、この道の駅の食堂で腹ごしらえをし、いよいよ私も出発だ~!だが、実際はあまり気乗りがしない。小雨が降り続いている事もある。そして一番の悩みはやはり日記だ。もう3日分も溜めてしまってだけに漕いでる場合ではなく、早く済ましてしまわねば落ち着かない。とは言え、またこの地で連泊する気にはなれなかった。キャンプ場料が掛かるということもあるが、それよりも毎日少しでも進みたいという気持ちがあったからだ。1mでもいい。それが観光でもいい。何かをしたいという気持ちがこの旅には強く、今回もそんな気持ちから霧雨降る中へと漕ぎ始めた。

義経ゆかりの厩石
 だが、長くは続かない。もうこんな雨の中を走りたくないんだ。どこかよい寝床はないか?探しながら10kmちょっとも走ると、よさそうな公園を発見!軒下は狭いがなんとか雨を凌げそうである。すぐ近くにある、義経寺(ぎけいじ)を観光して、このトイレの軒下でようやく落ち着いた。ちなみにこの義経寺の麓には巨大岩があり、それはいつ倒れてもおかしくないほど細く高く聳え建っていた。もちろん、崩壊の危険があるために周りは進入禁止となっていた。そんな奇石には義経伝説が残されており、義経は兄・頼朝に攻められながらも生き延びこの地へやってきたという異説があり、さらにはここで蝦夷に渡る為に岩上から海の沈静を祈願したという伝説だ。あらゆる地に伝説を残し、ほんと未知の人物だけに義経は面白い。

 軒下で落ち着いた私はさっそくHPの更新作業に入った。とはいってもずっとは出来ない。1日ほど日記を書いてはバッテリー切れで、充電に向う。その間はPCを操作することができず、仕方なく食事をしたり、読書をしたりとのんびりした時間を過ごすのだが、こうした時間が嬉しいのだが、でも睡魔にも襲われる。充電の完了する2時間ほどと思って仮眠に入るが、そのまま起きることが出来ずに就寝してしまった。まだまだ日記を残しているのに・・・

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : インスタントラーメン
 ・昼食 : カツ丼定食・菓子
 ・夕食 : ごはん&レトルトカレー




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