車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 3月30日 (日) - 266日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 運動公園

本日の移動 : 有川町~フェリー~佐世保市~小佐々町

走行距離 : 25.3km

累計距離 : 10,964km
本日の出費

食費 : 556円

観光費 : 0円

宿泊費 : 0円

雑費 : 3060円

費用詳細 : 雑費:フェリー代(有川~佐世保)

現在地 : 長崎県小佐々町  ( 全走行図 )

船旅

 今まで南西諸島で何度も船旅をしてきて、いまさらこの五島で船旅という題名も変かもしれないが、つくづく今日、船旅ならではのよさを感じた日であった。今朝は朝からそんな船ということを考えながらの起床だった。5時半に起床、今日は船の便が10時半入港とあってのんびりと朝の時間を過ごすことが出来る。ここから港までは5分ほどの距離で、それまで何をしようかと、さらには船中ではどうしようかなどなど、いろんなことを考えながらも、やっぱり今日も日記の更新からスタートした。ご飯を炊き、2個100円のコーンコロッケをおかずに食べながらの日記更新作業だ。だが、途中でバッテリー切れ・・・ あとは船内で続きを書くことにして、このあと、結露の為に濡れてしまったテントを干しながら読書に熱中した。本当は昨日書き途中の絵を描こうとも思ったのだが、中途半端な時間だったので読書にした。

 日が徐々に昇り、照らされていく目の前に広がる海はどんどん青みを増していった。そんな遠浅の透きとおる海を眺めながら日向であったまりながら読書をしていた。船の時間があるとはいえ、まだまだ先の話、時間を気にすることなくこうしてボーっと本を読んだり絵を描いている時間がほんと幸せであった。だが、そんな時間は長くは続かなかった。だんだんと冷たい風が吹き出し、寒さのあまり居られない状態に、これなら先にターミナルへ行ってしまったほうが快適だと思い、ほぼ乾いたテントを撤収し港へと向った。

 9時半過ぎに到着。まだ出航までは1時間に近くもあるのだが、意外に港は多くの人で賑わっていた。高速船も入港しているのでその乗客だろうか、それほど気にすることもなく、ただ”2階捕鯨資料館”という看板が気になり上へとあがってみた。空いたスペースに作ったような小さな資料館で、大した説明書もなく、ただ捕鯨用具などが並べられていた。今までいろんな土地で捕鯨ということを聞き、そして見てきた。今は保護ということから廃れてしまっているが、昔は全国各地で盛んだったことをこの五島の地でも実感した。また、一昔前は安い肉の定番であり、また給食の定番料理で児童からは癖の強い肉だった為か不人気だったことを聞いたことがあった。今ではそんな鯨肉でもなかなか食べられない高級品なものとなってしまった。

 資料館を見学後、待合室で電源を見つけたこともあり、またHPの更新作業(日記書き)に入った。乗船時間いっぱいまで書き続け終えたとき、辺りを見渡して驚いた。賑やかいなとは思っていたのだが、その予想を遥かに超えた人ごみでターミナルは込み合っていた。これは早々に乗船しないと電源のある場所に席を取れなくなると思い慌てて片付けけた。

今朝の蛤浜
フェリーターミナルの
捕鯨資料館
~ 出航 ~

 こうして慌ただしく乗船した船内であったが、意外に人は少なかった。これからなんだろうと思っていたのだが、外を覗いて全てが分かった。ターミナルに集まった方々ほとんどが見送りの人達で、とくにその中でも多かったのが、高校同級生を送る姿であった。就職だろうか、それとも進学か、みんなで校歌であろう歌を演奏し、そして「頑張れよ~」、「負けるなよ!」など掛け声が飛び、船出を見送っていた。また、春休みを利用して旅行にきた小学生の団体だろうか、背丈の割に大きなリュックを背負っている。4月、新たな季節が始まる時期であり、また、それぞれの道のスタート地点でもある季節。期待や夢膨らませ、そして不安も抱え、船は汽笛を鳴らしながら出航していった。自分も同様にこの島々に思い出を作り、そして残してきた。遠ざかる島を眺めていると寂しさが込み上げては来るが、でも逆に次の旅たちへの期待も膨らんでくる。船は飛行機と違いそれをまじまじと感じさせてくれる、そんな船旅のよさを感じながら島を離れていった。

 船内でもターミナル同様にいろんな風景があった。そんな中でも異質なのは自分かもしれない。電源を拝借して、携帯やPCの電源を充電しつつ、必死でパソコンを打っているのだから・・・ そんな人がいるのもフェリーの楽しさかもしれない。ちなみにこの五島では波は穏やかで船旅に恵まれた。あの南西諸島の辛さが嘘のような、のんびりとした海上の中、船は進んでいった。おかげで日記の更新を終えることができ、そしてあとは読書を楽しんだり、昼寝したりと、2時間半の船旅を満喫することが出来た。

 13時半、予定通り船は佐世保港に入港していった。港を見渡すと軍港として生まれ、そして育ってきた町ということを実感させられる米軍、自衛隊、それぞれの軍港が構え、そしてその周囲を造船所が覆っていた。自衛隊の新鋭、イージス艦の姿も見え、これが活躍する世が来ないことを祈りながら船は入港した。

 下船して迷わずまず向ったのは、このターミナル内だった。佐世保の観光情報を得る為で、案の定、観光パンフレットが置かれていた。やっぱり見所は軍港の町で育ってきただけに軍事に関してであった。日本海軍&海上自衛隊の歴史を紹介した施設、「セイルタワー」へと向かった。

 途中、米軍施設を横目に通っていくのだが、その印象としては沖縄で見たときよりも物々しさがなく、町に溶け込んでいるように見えた。高く頑丈な塀はそこにはなく、フェンスで覆われている程度の境界線で、沖縄とは異していた。聞いた話なのだが、この佐世保では他地域に比べて、米駐軍の反発が少ないという。理由は居なくなっては佐世保の収入源に痛手をこうむるからだそうが、それは沖縄でも同様のことである。事故がすくないからだろうか、それとも住民と溶け合っているせいだろうか。実際はどうなのか分からないが、自分にはこの佐世保の土地が穏やかな土地に見え重々しさはそれほど感じなかった。 すれ違う米軍関係者の家族達も、日本のおばちゃんと言った風に自分には写った。

 米軍に関してはこのくらいにして、さきほど紹介した”海上自衛隊資料館”へと入った。別名「セイルタワー」と呼ばれているだけあって、大きなまさにタワーの言葉に相応しい建物であった。資料室はこの一部だろうと思い入館したのだが、この全てが資料館になっていることには驚いた。今まで何箇所も海軍史料館に入ってきたが、これほど大きなところは初めてだ。資料のほうは、戦史などを伝える、生きた資料はほとんどなかったが、そのぶん、再現された模型などが多数展示され、そのおかげで視野的にも楽しく歴史の流れを知ることが出来た。また、ビデオ説明が豊富で、どんな資料館よりも詳しく説明してあり、多少の知識はあったものの、まだまだ知らなかったことを多くここで学ぶことが出来た。そんな戦史の歴史と、そして戦後の自衛隊の歴史も紹介されていて、今の日本の現状をも知ることができた。こうして過去を知り、そして今を知り、そして未来を予測でき、作っていけるものだと最近よく思うようになった。昔は過去をしってなにになる、そう思っていた時期もあったが、同じ過ちを繰り返さない為にも過去は知る必要があるのではないかと最近よく思うようになった。

佐世保の自衛隊
(手前はイージス艦)
海上自衛隊史料館
豊富な資料の史料館

 14時ごろ入った史料館、豊富な資料に見せられ、閉館いっぱいの17時まで見てまわってしまった。こんな時間までみてまわるつもりはなかyったのだが、見だしたらとまらない、そういう性格らしい。これだけ時間を掛けたのだが、これでも最後は時間が足らない為にざっと見になってしまった。それほど私にとって興味引く内容が豊富であった。

 退館してこのあとは、ひたすら海沿いを寝床を探しながら北へと進む。日が暮れる前にと思いながら必死ではしり、途中何度か公園を見つけはしたが、まだまだ賑やかな運動公園だったり、花実盛んで提灯が並ぶところであったりとなかなかよいところが見つからないまま走り続け、そして小佐々町でちょうどよさそうな運動公園を見つけた。静かな町で落ち着いていて、そして綺麗なトイレと大きな東屋、申し分ないところである。迷わずここに決定して、夜はのんびりと日記を書いたり、読書をしたりして過ごした。今夜は紅茶パワーのおかげか睡魔に襲われることなく無事に日記をこうして書き終えることが出来た。だが、時刻はもう23時をまわってしまっていた・・・




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