車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 10月26日 (日) - 476日目

天気 :

体調 : 良好

宿泊地 : 見通りキャンプ場

本日の移動 : 塩原町~田島町~舘岩村~桧枝岐村

走行距離 : 90.0km

累計距離 : 21,491km
本日の出費

食費 : 3329円

観光費 : 100円

宿泊費 : 500円

雑費 : 200円

費用詳細 : 食費:登山用食材・米2kg含む、宿泊費:見通しキャンプ場、観光費:天皇の間記念公園、雑費:岩の湯

現在地 : 福島県桧枝岐村  ( 全走行図 )

3つの峠

 今年の5月下旬に登る予定だった尾瀬周辺の山々。残雪期の登山規制、道路の冬季閉鎖に阻まれ途中まで行ったにも関わらず引き返すことになってしまったこの尾瀬周辺の山々へと向けて再度今日向うことになった。100km以上をピストンし、峠を3つも越え戻ってくると言う難ルートとなってしまったが今度こそ行くしかない。気はやや重たいが、しかし、そんなことを言っていては気力で負けそうで、「頑張れ!」と必死で自分に言い聞かせて今朝、自転車を漕ぎ始めた。

 そんな朝は塩原の道の駅でやや目立つところにテントを張ったために落ち着かない起床となってしまっていた。とくに注意されたとか、注目を集めたとかはないが、自分自身が落ち着かず5時の起床と共にすぐに撤収。そのあと、小さな24時間開放の休憩室に場所を移して昨日全く書けなかった日記を書き始めるが、途中で電源不足の為に断念し、今日は早い8時頃には自転車を漕ぎ始めていた。そして、塩原の紅葉染まる渓谷美、数々の名瀑に魅せられながら1時間ほど坂を漕ぎ上がり塩原温泉市街へと入っていった。

 こうして入った塩原温泉では、ここがどんなところかと言うことが知りたくビジターセンターへとまず入った。そこで1100年もの歴史と文人達の温泉とのふれあいを知り、そして今度は実際に湯治場の舞台となった所のひとつ、”天皇の間・記念公園”を見学。多くの天皇・皇族が使用したこの塩原御用邸は一部しか今は現存しないが、それでも和洋入り混じった色彩豊かな、贅沢な作りに見せられ、そしてお次はお楽しみの温泉入浴♪昨夜入れなかっただけに今日は足取りは軽く、歩いてのんびり渓谷美を散策しながら、無人の混浴風呂”岩の湯”へ♪温泉街から丸見えの温泉であるが、しかし、もう手に届くほどのすぐ脇に渓流が流れ、そして見上げれば色付く木々に囲まれ、ある意味これほど贅沢な風呂もない。のーびり開放感溢れる3つの露天風呂を堪能して、ここでちょっと早いが今日の観光を終了した。この先、3つの峠越え、さらには100km近い道程が待っているため、心を引き締めまた新たに自転車にまたがった。

日本一!
もみじ谷大吊橋
塩原ビジターセンター
天皇の間記念公園
塩原
岩の湯にて
おじちゃんがモデルに♪

 まず、最初の峠は塩原から鬼怒川方面へと抜ける尾頭峠。今朝の道の駅からずっと上り坂にも関わらず、この市街地でも、さらにそれを越えても延々と上りは続き、そして峠間近ともなれば勾配はグッと増すのだが、ここはマイペースでのんびりと漕ぎあがる。ここで力を使い果たしてしまえばとてもこの先に待つ2つの峠を越えられない。そのことばかり考えながら登るのだが、マイペースとは言え、汗ビッショリ掻きながら必死になって上っていたのも事実である。とても気を抜いて越えられるような坂ではなく、ただ、気持ちだけは体力を温存しているつもりであった。

 黙々と漕ぎあがって1つ目クリア♪これがあと2つも続くのかと思うと途方に暮れてしまいそうだが、そんなことは言ってられず、坂を気持ちよく下った後は、また気を引き締めて次に峠へ目指し漕ぎあがっていった。ただ、ここでそんな追い詰める心を洗ってくれたのが男鹿川沿いに広がる見事な紅葉であった。北海道から自転車で紅葉と共に南下して、また登山をし、いろんな所で紅葉を見てきたが、ここの紅葉は思わず息を呑んでしまうほどの美しさで、何箇所も自転車を止め、魅入り、また写真撮影にも力が入った。今までの東北の紅葉。赤はそれなりに染まってはいたが、黄色が見てて悔しいなるほど染まりが悪く、黄色になる前に茶色へ、そして散ってしまうものばかり。全体的にパッとしない紅葉に心ときめかせる物がなかった。それだけに、この色彩豊かな見事なまでの男鹿川の紅葉にすっかり目を奪われ、それを眺めながら自転車を漕ぎあがっていくのだから、もう疲れも忘れてあっという間の峠越え。実際にも大した急坂はなく、気合入れた割には拍子抜けする2つ目の山王峠であった。

紅葉真っ盛り
男鹿川
男鹿川沿いにて
不動滝
中山峠付近

 あと1つ。ここまで来ればもう一分張りで到着だ!そんな気持ちの下、最後の峠へと向って走り出すが、前半からダラダラした長い長い緩い上りに苦しめられる。しかしこれなら峠直前の急坂はほとんどないだろうと期待していたのだが、しかし、地図上ではまだまだ峠まで先と言うのに、どんどん傾斜はきつくなって行き、終いには激坂が延々と続く。これが最後の峠越えだと気合を入れて頑張るのだが、しかしこの長い登りにさすがに後半は足の方がついて来ない。自転車から降り、休憩しようものなら足はガクガクと悲鳴をあげ、立っているのがやっとの状態と言う始末であり、その先の登りはただ気力だけが支えていた。そしてもうひとつ、追い抜いていく車からの励ましであった。もう、言葉も返す元気もないほどだが、それでも笑顔を必死でつくり返すのだが、それが自分にとって息抜きとなり、深く滅入ってしまった気持ちを救い出す。もちろん、声を掛けてくれた方の笑顔が自分を救っているのも言うまでもない。これら気力で最後は乗り越え、峠の先が見た時には全身の力が抜けてしまうほど体力を消耗していた。そして、喜ぶ元気もなく、ただ気力で最後の峠、中山峠のトンネルを越え下りへと入っていった。

 それでも下りは気持ちよくと言いたいところなのだが、体力よりも今度は坂がそうさせてくれなかった。最初こそ「なんだこれは!」と思わず発してしまうほどの急な下りであったが、すぐに緩やかな下りへと変わっていった。帰路もこの道を通るのだからこの位の方が走りやすくてよいとも思いながらも、しかし、あまりの緩やかさに、また追い風も重なって、まるで緩やかな坂を上っているようで、疲れた身体はさらに悲鳴を上げ、この下りも苦痛でしかなかった。そしてその疲れにさらに拍車をかけたのが、国道401号と合流し尾瀬方面へと向きを変えてからである。またここからのぼりへと変わり、大した坂ではないのだが身体はもう限界・・・ 何度も休み休み上っている時に、また力づけられたのが、車からの声で、なんと先ほどの中山峠付近で声かけジュースを走りながら手渡ししてくれた方とまた再会!今度も同じように励まされ、そして、今度はお菓子をまたも走りながら手渡してくれた。そんな人たちに元気付けられ、さらにこの後、観光名所・屏風岩で休憩しているところで、また3度目の再会。またまた差し入れを頂き、こうして元気を貰って厚くお礼をいい最後の走行を乗り越えて言った。

見通しキャンプ場にて
 こうしてやっとの思いで到着した桧枝岐村。すでに日暮れも近い16時半という時間になっていたが、困ったのがまだ寝床が決まっていないこと。出来ればこの先の4つの登山に供えての身をジックリ落ち着けれるベースが欲しいところであるが、地図を見ればどこもオートキャンプ場ばかりで頭を悩ましていた。そんなキャンプ地へ駄目もとで聞いてみると、料金は500円とギリギリの線、しかし荷物を預かってもらえたり、電源を借りれなければ意味がなく、改めて聞いてみると嫌な顔ひとつすることなく、快く了解してくれ、私もこうして迷うことなくそこにお願いすることにし、こうしてようやく今日の長い長い走行を終えたのだった。最後に明日の登山に備え町まで買出しをしに行き、そして夜はHPの更新と精を出すが、しかし、今日の走行の疲れからか、すぐに睡魔に襲われ20時には寝てしまっていた・・・ ちなみにこの桧枝岐村、au携帯が圏外となってしまい、この4山の登山中はずっとHPの更新はもちろんのこと外部とのメールのやり取りも全く出来なく、寂しい登山が続きそうだ。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : パン×3
 ・昼食 : パン×2・菓子
 ・夕食 : ごはん・マーボー豆腐




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