車輪人の自転車日本一周・登山の旅 車輪人の自転車日本一周・登山の旅

2003年 4月2日 (水) - 269日目

天気 : 曇のち雨

体調 : 良好

宿泊地 : 虹の松原

本日の移動 : 鎮西町~唐津市

走行距離 : 25.9km

累計距離 : 11,119km
本日の出費

食費 : 367円

観光費 : 400円

宿泊費 : 0円

雑費 : 105円

費用詳細 : 観光費:唐津城

現在地 : 佐賀県唐津市  ( 全走行図 )

大転倒!!

 100000アクセス突破!そんな嬉しい報告から始まる今日の日記だが、またいろんな事があった一日であった。その中でも衝撃的なのが大転倒!!大きな被害を被ってしまった(T_T) そんな一日の今朝は6時起床、食事後すぐに邪魔にならないようにと、テント撤収。道の駅の店先だからしかたない作業。それからベンチで寒さに震えながら日記の更新へと入った。今日も昨日に引き続き強風が吹き荒れて体感温度はかなり寒い。またいつ降りはじめてもおかしくないほどの重い空模様だった。ちょっと憂鬱になりながらも9時、日記を書き終えて出発した。

出発前・池田さんと♪
 出発したといってもすぐ隣と言っていいほどの距離の名護屋城博物館はと入った。ここで昨夜からお世話になっている池田さんとここでお別れ。この先は伊万里方面へと散策しながら進むそうだ。お互いにいい本が出せることを祈りながらお別れした。

 開館と同時にはいった博物館だったが、今回もじっくり見学して見終わったのは12時近くになってしまった。館内は古代から近代までの主な歴史の流れと、そしてメインの文禄・慶長の役については数多くの展示物と共に紹介してあった。もともとある程度、この朝鮮出兵についての知識はあったので、基本的なことはそれほど興味をいだかなかったが、惹かれる部分も多くあった。それは、この資料館の目的のひとつである、「朝鮮との友好」そんな理由から朝鮮についての歴史も簡単であるが共に紹介されていた。その中で特に目を惹いたのが韓国の歴史教科書であった。日本の今の教科書と共に紹介してあり、日本は朝鮮での残虐行為を簡単に述べて終えているのに対し、観光の教科書は具体的な数字まであげてそしてさらに日本を非難して書かれている部分もあった。このあとの資料図書館で韓国大学教授のインタビューがビデオで聞けるコーナーがあり、そこではこの教科書問題について話されていた。日本の教科書はやはり真実をやや隠そうとしている感があり、対し韓国は非難しすぎるところがあると話していて、今後、アジア共通の歴史教科書の作成、それが必要だと述べていた。そのことがとても印象深くのこっている。またこの図書館では韓国に関する本も多数置かれていて、世界大戦後の韓国の歴史を詳しく知らない部分が多かったので、そのことについてちょっと調べてみたりとしていたので、こうして退館が12時近くとなってしまった。

 それから名護屋城跡を散策。今も多くの石垣などが残されていた。そして広大な陣屋跡、その規模に驚かされるそんな城跡散策であった。

名護屋城博物館
博物館内にて
博物館内にて
(城の模型)
名護屋城跡
名護屋城跡・天守台
名護屋城跡

 散策を終えた13時ごろ、自転車を置いてある道の駅へ戻ろうと思ったとき偶然な出会いが!今朝、伊万里方面へと向ったはずの池田さんが休憩所で休んでいるではないか!話を聞くと、この重い空模様をみて、あまり進む気が起こらなくなり、今日も各陣屋跡を散策していたそうだ。このあと、確実のある軒下を求めてまた唐津方面へと戻ろうかと考えているそうだ。ただ同じ唐津方面といっても通る道も、方向もややずれていることで、旅の成功を祈り今度こそお別れだ。

白波たつ海と遠く立神岩
 さあ、自分も出発だ。道の駅へと戻り、この重い空模様を見て先に防水対策。そして強風の中へと出発した。向かい風が横風がきつく吹き付ける。とくに橋の上ではとても真っ直ぐ走れないほどの風に叩きつけられ、もう四苦八苦、それでも距離を少しつづ伸ばしなが204号をひたすら進み、そして海へと出るコーナーを曲がろうとすると、物凄い強風で最低尾ギアでなんとか進むといった強風・・・ それを乗り越え海沿いへと入ると嬉しいことになんと追い風となった。ここから先は気持ちよく快適に距離を伸ばしていき、横目には荒れた海に奇石”立神岩”を浮んでいた。

 唐津市街へと入ろうとしたとき、ある方に呼び止められた。なんとこの唐津を中心に出版しているタウン情報誌「TSUNAMI」の記者の方で、旅のことを載せてもらえないかということだった。もちろん2つ返事でOKして、この先のラーメン店でゆっくり話をすることになった。車に案内されながら追い風もあって気持よく進むさなか事件が起こった!!それは大転倒!!2、30cmほどあろうかと思われる、突然の急な下り(段差)に気付くのが遅れ、段差と共に最近やや抜け始めていたフロントサスは底つき・・・ そしてブレーキ部がフロントキャリアと接触し強制ブレーキが掛かってしまいタイヤはロック!そのまま自転車は前転し、逃げる間もなく顔、頭から地面に叩きつけられ、さらには自転車が上から圧し掛かってきた。もう何が起こったのかわからない一瞬の出来事で、記者「大塚」さん曰く「消えたかと思った。」そう話すほど高スピードの自転車は前転し、とまった。

 起きれるかどうか自分でも心配なほどであったが、幸い自転車をどけ立ちあが得ることができた。大きな怪我はなさそうだが、顔と肩を擦りむき、頭にはマンガのような大きなたんこぶができていた。また腕を捻ってしまいやや痛みがあった。さらにショックだったのが看板プレート「日本一周中」の破損、そしてゴアのカッパの大きな破れ・・・ 自転車のほうは若干の損傷 ですんだのは助かった。大塚さんにはほんとお騒がせしてしまいました。すいません・・・ このあと、ラーメンをご馳走になりながら取材へと入り、そして観光情報なども教えてもらってお別れした。最後に栄養補助食品を頂いた。ありがとうございました。ちなみにこのタウン情報誌「TSUNAMI」は5月15日から無料配布予定だそうだ。

大転倒!
擦り傷&たんこぶを作る
タウン情報誌
「TSUNAMI」に
取材していただいた大塚さん
転倒の損傷(T_T)
看板がー

 さあ、気を取り直して、さっそくプレート&カッパの修理。でも、それとは裏腹に雨が降り出し、さらに重い気持ちにさせられてしまった。でも幸い目の前が100円均一で、そこでビニールテープを購入。それでプレートを修理、カッパの方は瞬間接着剤でつなぎ合わせたが、近いうちに新規購入を考えなければならないか・・・

 こんな修理中、なんとここでビッショリな先ほどの池田さんが登場!またまた偶然な出会いだ。それもこんな店先でである。また再会を喜び合い、もしかしたら寝床も同じかもねと話しながらお別れした。さあ、自分も観光スタートだ。雨の降る中向ったのは、まずは唐津・歴史民族資料館。その建物は旧三菱合資会社だそうで、もう建物からワクワクさせられたのだが、近づいてみるとなんと休館日という看板が・・・ ついていない・・・ このあと伝統まつり「唐津くんち」の資料展示場があるということで行って見たのだが、有料施設で、また時間的に厳しくなってきたこともあり断念。残り少ない17時までの時間を唐津城見学に費やすことにした。

偶然、池田さんと再会
唐津・歴史民族資料館
閉館中(T_T)
埋門の館
(公民館のようだ)

 5重の巨大な天守をもつ唐津城は秀吉に可愛がられていた将「寺沢氏」とあって名護屋城の解体資材を用いて、さらには九州諸大名の加勢も受け築城されたそうだ。また初代寺沢氏は、有名な虹の松原を作った方でもあった。強風による海からの塩害を防ぐ為で、その規模にこの後、実際に見て驚かされた。でも、2代目寺沢氏の時に飛び地である天草領の悪政のために島原の乱を引き起こし、天草領地没収。さらには自分で命を絶ち、世継ぎが居なかった為に滅んでしまった。そんな歴史が資料館には展示されていた。ただ、思っていたよりも展示内容は薄く、どちらかというと展示物の方重視であった。そんため、思っていたよりも見学を早く終えて16時半には城を後にした。

 さらにこのあと市内を散策しようと思ったが、この雨と先ほどの事故のショックで、もう早く落ち着きたく寝床探しへと虹の松原内を散策した。そしてちょうど良いステージを見つけて今日はそこでテントを張ることにした。池田さんもいないかなと辺りをこのあと散策してみたが、他の場所にいってしまったのか見当たらなかった。読書をしながらのんびり夕方を過ごし、そのまま睡魔に襲われ日記を更新することなく19時半ごろ就寝してしまった。今日はなんとなくやる気がしなかったのも理由のひとつかも知れない・・・ 雨と転倒のせいだろうか・・・

唐津くんち!!
唐津城
天守より松原方面
虹の松原
頂いた栄養剤と共に
今日の寝床にて



自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・自転車・